ねこひげアンテナ

自己分析&文体模索中!自分らしさって何だー!?

10代だからこそ、愛と平和!シリーズ・つんく歌詞の魅力(2)

2015/11/06(金)

つんく曲の歌詞は、聴けば聴くほどほんとに奥が深いですよね!

前回のエントリーでは「炸裂する乙女心!」と題して、乙女心といえばこれだけは外せない!という3曲を語らせていただきました(ぺこり)。


今回は語るのはコレ。

(2)10代だからこそ、愛と平和!


これについて語りたいと思います。
お願い、語らせて。



つんく曲には、本当にびっくりするほど「愛」「平和」「地球」「幸せ」「人生」といった、10代の女の子が歌うにはちょっと壮大すぎるような、そんなテーマが多く登場します。


ぱっとiPodの曲名一覧から思い当たる、モーニング娘。の曲だけでもこんなに。


さあ行け未来は渡さない
愛の力 愛の叫び
そうだ言われたからするでなく
みんながしてるからでなく
この手が掴む元気な未来
Love&Peace
力強い、人生の選手宣誓ですね!共感したら、うたまっぷ様で全歌詞を→http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-110914-012 


雨の降らない星では愛せないだろう?
仲良く生きていこう 平和であろうよ
分かち合うしかない すべての生命(いのち)
雨の降らない星では愛し合えないだろう
僕達は未来まで襷を渡す使命
陸のない星にはならないように
僕達が大声で歌うのさ
 今年の夏、現メンが広島平和記念公園で歌いましたね。うたまっぷ様で全歌詞をぜひご覧下さい→http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B33593 


愛の軍団
近くにあるときゃわからなくて
遠く離れたら気がつく
ないものねだりが人間でも
ありがたさを知れ
孤独と戦い
大きな力に飲み込まれない
愛の軍団
愛の軍団に入団希望の方は、全歌詞をうたまっぷ様で→http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-130828-171 


What is LOVE?
たった一人を納得させられないで
世界中口説けるの
たった一人を不安にさせたままで
世界中 幸せにできるの
たった一人のちょっとした正義感で
世界が輝くよ
たった一人のポジティブなオーラから
世界がポジティブ連鎖する
シビレた!!という方は全歌詞をうたまっぷ様で→http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-140205-105 


Be Alive
君を守る 星を守る
今日を生きる 明日に繋ぐ
いつか争うことない優しき時代が
この世界中包み込むさ
君と共に 友と共に
夢と共に 汗と共に
いつか笑いの絶えない自由な時代が
嫌なことなど吹き飛ばすさ
君を悲しくさせない時代
どうしてだろう、泣けてきちゃう…という方はうたまっぷ様で全歌詞を→http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-120912-012 



Happy大作戦
育もう かなり本気で
後輩や 仲間たち
文化継承 共有しよう
忘れちゃならない 忘れちゃならない
一人じゃないことを
愛を信じよう 
捨てたもんじゃないぜ
うん、私も頑張りたい!頑張るぞ!と思ったら、うたまっぷ様→http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-130130-419 



I WISH
晴れの日があるからそのうち雨も降る
すべていつか納得できるさ!
人生ってすばらしい ほらいつもと
違う道だってなんか見つけよう
Ahすばらしい Ah誰かと
めぐり会う道となれ!
雨があるから晴れがある、じゃないんだ!晴れがあれば雨もある、なんだ!と目からウロコが落ちた方はうたまっぷ様→ http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=65850 


愛あらばIt's ALL RIGHT
そうさ時代はそれぞれいっぱい
がんばって来たよね
おじいちゃんやそのまたじいちゃん
そのまたもっともっとばあちゃんに
感謝がみなぎる
「太陽はすべてお見通しさ」のあとの「ほっ!」という合いの手を絶対自分が入れたい!という方はうたまっぷhttp://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B05761 


でっかい宇宙に愛がある
誰かを責めるより
涙を流すより
自分を愛してあげようよ
ちっちゃなちっちゃな赤ん坊だって
必死で必死で泣いてる
僕らも僕らも出来る事を
必死で必死で見つけたい
「でっかな」に多少の違和感を覚えるものの、でもまあよし!(©今週のかなでさん)と思う人はうたまっぷhttp://www.utamap.com/showkasi.php?surl=66224 


心を素直に 
叶えようよ 興味あることからでも
愛があれば 美しいでしょ
夢には眩しい笑顔載せて
輝く準備をしてさ
雨の日でも宇宙までと 羽ばたこうよ
客電のついたコンサート終盤を思い出す…という人はうたまっぷにて全歌詞を→ http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B13588 


時空を超え宇宙を超え
愛しくて 愛しくて 尊さを感じてる
瞳を閉じて 君の事 感じる
時空(とき)を超え 宇宙(そら)を超え
結ばれる頃には
この地球(ほし)は きれいになるかな
さゆの神々しい美しさが蘇る…という方はうたまっぷ様で全歌詞を→ http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-140416-189 




ほかのグループにもないかな?と思って検索してみたけど、それほど多くはなかったですね。 

あっても、そんなにメッセージ性の強くはない、恋寄りの愛か、もしくは「愛」という言葉を使ってみたい乙女心のどっちかかな。
強いていえばBerryz工房の「愛はいつも君の中に」とスマイレージの「地球は今日も愛を育む」とかがこのジャンルに当たるかも。


他グループではなく、娘。にこそ、こういう歌詞が似合うと、つんくさんも思っていたのかもしれません。

 
10代の女の子が「愛」とか「人生」とか「平和」とか、説得力がないんじゃあ!とおっしゃる向きもあるかもしれません。


でも、私は。
10代だからこそ
こういう歌を歌う意義があると思います。


歌われる言葉には、ひとの心に知らず知らずに入り込み、その人の考え方を変えていく力があるからです。

軍歌や唱歌が典型例ですよね。
(ちなみに唱歌とは、イコール童謡のことではないですよ。政府が国民に向けて啓蒙したい内容を歌の形にしたものです。なので「国勢調査の歌」は天皇の繁栄を寿ぐ歌詞に着地するし、「我は海の子」の8番は海軍の勝利を願う歌詞です。こないだ現代文の練習問題で読みました。受け売り。)



何気なく、歌詞の内容なんかほとんどろくに考えもせずに口ずさむのが流行歌です。

でも、その歌詞は、知らず知らずのうちに私たちの考え方を変えていくと思います。


「平和とか改めて考えたことなかったー」という人が、娘。たちの歌を聞くうちに「今の平和を守っていかなくちゃ」と思えるようになる。

「いつ死んでもいいかなー」と思ってた人が、娘。たちの歌を聞くうちに「人生って自分次第で輝くんだ」と思えるようになる。

少しずつでも、自分の考え方が前向きに、力強くなってくる。

過去を敬い、未来を信じ、友と共に汗をかいて、自分の手で人生を切り開き、夢と愛を掴み取ろうとする、歌の主人公たちのように。




遠い昔、日本国のことを「言霊のさきはふ国」(言葉の霊力が幸せを運ぶ国)と呼んだそうです。

「言霊」とは、口に出した言葉が持つ霊力のこと。

今でも、つい「死ね!」とか言ったあとに「もしほんとに死んだらどうしよう…」と思ったりすることありますよね。

それは、日本に古来からあった「口に出した言葉は、現実になりうる力を持つ」と信じる言霊信仰の名残です。

言霊のさきはふ国に、今もちゃんとこういうことを歌う歌詞があるって、いいですよね!!

とっつきやすいアイドルソングだからこそ、口ずさみやすいアイドルソングだからこそ、このような壮大なスケールの歌詞にする意義があると思います。


そして、10代の少女たちは、必死の稽古の末に立ったステージで、これらを歌うんです。

もし仮に、歌詞にこめた意味を深く理解していない子がいたとしても、青春時代を捧げたステージで歌った歌がその子の人生に影響を及ぼさないはずがありません。


つんくの壮大な歌詞は、きっと一生に渡ってメンバー(とファン)の信念となり、人生を支え共に歩んでくれる力になると、わたしは思います(^-^)


恋とか愛とか、あいつが好きとかキスしたいとか、そんな歌ももちろんかわいい。

でも、こんな壮大なテーマをこんなにたくさん歌わせてくれるのは、つんく曲以外にありません!


ハロヲタでよかった!!と、心から思います!(^-^)





ではまた!
次回は「(3)言葉選び」を語りたいと思います。


しーゆー!


 

炸裂する乙女心! シリーズ・つんく歌詞の魅力(1)

2015/11/05(木)

重度のハロヲタのもちよです。こんばんみ。
今年はわが軍から多くの人が旅立って行った年でしたね。

3月にはアイドル界の全方位型ミサイル、Berryz工房が。
6月には稀代のアイドル、うたちゃんが。
11月には未完の大器、にょんさんが。
12月にはモーニング娘。の孤高のセンター、鞘師ちゃんが。

そして、今になってじわじわと私を落ち着かない気持ちにさせているのは、そう、つんくさんの不在です。



わたしはもともと、ハロメンたちの懸命さ・可愛さと同じくらいつんくさんの曲を愛していました。

だから、つんくさんの曲が激減し、他の作家さんの曲を歌うことがある意味「通常運転」になったからこそ、

「ああっ!もう一味!もう一味のパンチをくれえーー!」

という欲求が抑えきれなくなっております。


世間では「意味不明www」とか「ひどいwww」とか「売る気無し!」とか言われることもあった、ひと癖もふた癖もあるつんく曲(敬意を込めて呼び捨てにさせてください)。

ですが、わたしは心の底から愛していました!!!

わたしが愛していたつんく曲のポイントを数回に分けて語りたいと思います。
実例を交えつつ、紹介させてください。


今回のエントリーはこちら。


つんく曲の激愛ポイントその1・ 歌詞の世界観



これ!!これよ!!歌詞の魅力無くして、つんく曲は語れない!!

歌詞の魅力は、大きく3つに分かれます。簡単に言うと、

(1)乙女心
(2)愛と平和
(3)言葉選び

です。

ではまずひとつめ。デデン!

(1)乙女度120%!?女心をイタコのように代弁する歌詞〜!



我々ハロヲタの間では「つんくの中には乙女が入ってる」というのは常識ですよね。

それほどまでに、とてもじゃないがオッサン(失礼)が書いたとは思えない歌詞が山のようにあるのです。
というか、全部かもしれません。

その中でも、特にわたしが失神しそうになった歌詞をご紹介。


「パン屋さんのアルバイト」スマイレージ

バイト先で 急にモテ始めたのだ

のだ!!!!

この語尾!!!!
これだけでもう勝ち。無限大に勝ち。未来永劫つんくの勝ちです。


この曲は、バイト先で急にモテ始めた主人公が、ある「1人の人」から突然デートに誘われてしまい、警戒してるけどどんどん惹かれていって、わあどうしよう!いいのかな?!これってもしや恋?!みたいな曲です。

全編通して、甘酸っぱい度120%。
「これって恋かも?」
で終わる歌詞は、まさに「落ちた」と気づく直前の恋。
跳ね回る音符とキラキラしたハートが、紙吹雪のように降ってくる気すらする、ものすごいアイドルソングとなっています。

よって、三十路女がカラオケで歌うと、もれなく瀕死の重傷を負うことができます。
なんとなれば、社会的な死が訪れると言っても過言ではないでしょう。



「愛しく苦しいこの夜に」モーニング娘。

Ah 前髪で 顔を隠した
でも口づけしてた
Ah 夢の中 壊れちゃいそう
止まれ 時間 止まれ
Ah なぜだろう 涙流れる
悲しいわけじゃないのに
Ah なぜだろう 愛しい苦しい
胸が 胸が 苦しい


はあ、歌詞打ってるだけでもう切ない。

この曲は、たぶん初体験?の女の子の心境かなと勝手に思ってます。
ドキドキしながら彼の家に行って、怖がっていると見えないように頑張っておしゃべりして、ご飯食べて。
無理に鼻歌歌いながらお茶入れてみたけど、ふとした時に肩を抱き寄せられて頭が真っ白に。
「付き合ってもう半年か」「大好きだよ」と思う主人公。
そして引用の部分を経て、「あたたかい柔らかな手」に包まれて眠るまでの、大切な、幸せな、一夜の歌。

「愛しく苦しいこの夜に」というタイトルがもうぴったりすぎて、私の胸まで苦しい。

Ah なぜだろう 胸が苦しい 
食べすぎたわけじゃないのに

およしなさい。

しかし、歌詞だけなのに、えりりんのあの可愛い声で再生されますね。
余談ですが、このアルバム(Fantasy拾壱)はもちよ史上最高に好きでした。アルバム収録メンバーでのライブがなかったのが未だに悔やまれます。
そしてもうみんな、いない…(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)



全部全部興味ない
もうすぐ引越しするんでしょ
これ以上優しくしないで
ウソ泣きしてあげるから

「君のことなど興味ない」
から始まって、ほかの誰と話してたって興味ないし、髪の毛を切ったのも背が伸びたのも、斉藤先輩と仲いいのも知らない。
遊園地に誘われ、まあ生徒会で一緒だから1度くらいいいけど、とはいいながら。
全編通して「知らない」「興味ない」のオンパレード。
でも、歌詞の最後(引用部分)にきて、「ぁまのじゃく」というタイトルの意味がわかるんですよね。
素直にさみしいといえない、あまのじゃくな女の子(たぶん中2!)の歌でした。

「あ」が小さいのはなんでだろう。
可愛い天邪鬼、のイメージなのかな?

 


乙女心満載の曲はまだまだたくさんありますが、絶対外せない3曲をご紹介しました。


次のエントリーでは、(2)愛と平和 について、語らせてください!

ではまた。

しーゆー!


学校へ行こう!は、タイムマシンだった

2015/11/04(水)

こんなに懐かしく思うはずじゃなかったのに!
まだまだ「ちょっと昔」だったはずなのに!

振り返ればすぐ思い出せてた「あの頃」がまさかこんなに遠くにいっていただなんて!!

学校へ行こう!2015」を観て感じたのは、こんな驚きと少しの恐怖でした(笑)




振り返れば、私の人生で最も密度が高かったのは、16歳から20歳までの5年間だったような気がします!
今でも、その5年間のことは、どの年に何があったのか鮮明に思い出せるくらい。


私にとって特別な5年間は、1997年から2001年にあたります。

まさに、「学校へ行こう!」が絶好調に放送されていた時代とまったく同じ!!


昨日のスペシャルも半分以上はなんとなく覚えのあった内容でしたよ!毎週必ず、家族で見てたからね(^-^)


そして学校へ行こうスペシャルを観てるうちに、どんどん恐怖が(笑)

ついこの間まで振り返ればすぐそこに鮮明に見えていたはずの「16歳から20歳までの思い出」は、いつのまにか18年も向こうの世界になっていたことに、イヤが応にも気付かされましたよ…。


学校へ行こう!の画面の端々に、今となっては懐かしい世界(そんなに昔だなんて思ってなかったから、思い出すこともなかったあの時代の空気!)がたくさんあって。
まさにタイムマシンのようでした!



「厚底ジョンソン」
コーナー内容:街ゆく厚底ブーツギャルを拉致・拘束し、履いたままの厚底をノコギリでそのまま切り落とす(!)

今の常識なら絶対通らない、恐ろしい企画だというのに、何のテロップも入らずに普通に笑いとして受け止められていたというそのおおらかな世界観に衝撃...

いや、私も普通に笑って観てた。確かに。
なのに2015年の今、あれを観て笑いより先に「いやいやいや、さすがにこれはマズイんじゃ...」って思ってしまうのは、グラデーションで変わっていくような緩やかさで、じわりじわりと「テレビの常識」が変わっていったからなんだろうなあ...
今は深夜帯でもできないよね、あんな企画。たぶん。

自主規制が強くなったのか、世間の声が強くなったのか。

最近はテレビが面白くなくなったとか言うけど、仕方ないことなのかもしれないね。
昔と同じ形でやると、何したって反論がくるもの。

何やっても斬新で、勢いがあって、朝から晩までずっと面白かったフジテレビが、今やもう視聴率が風前の灯状態ですしね。

時代かねぇ。
私もあんなにテレビっ子だったのに、今や帰って来たってテレビつけないままの日も多いもんね。




コーナー内容:最強コギャル「サオリとミホ」と、名門大学生「マサーシー・長谷・だぜ」との間に愛は芽生えるのか!

そもそも、コギャルという概念がもう。もう。懐かしすぎて胸が苦しい!!
あのバーバリーのマフラーの巻き方よ!!
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パーにした手を前に突き出すポーズよ!

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独特のピースのしかた、極厚ルーズソックス、だらしないカーディガンよ!!
もう懐かしさで倒れそうになりました(笑)

あのころはまだポケベル全盛期で、まだギリギリケータイの普及する前だったから、あんなにイケイケな人でさえもケータイ持ってる画がないのが、今となっては逆に新鮮。
今は暇が一秒でもあればみんなスマホに指を滑らせるけど、昔のギャルたちは何で暇を潰してたんだろう。写真かな。写ルンですとか、みんな持ってたなー!

ギャル語とかあったなー!
「チョべリバ(超ベリーバッド)」「MK5(マジでキレる5秒前)」「超ベリガンブロン(超ベリー顔面ブサイクなロン毛男)」「なくなくない?(あるよね?)」的なね!!

私は田舎の進学校のイモ姉ちゃんだったからリアルなギャルとは無縁だったけど、渋谷のギャル(コギャルとかいうこの響き!)の様子などはテレビで見ない日は無かったねぇー。
ヤマンバとか、いったい何を思ってあんなファッションしてたんだろうね?!
センターGUYとかもいたなぁー(笑)スーパー高校生とか!なんじゃ、スーパー高校生って!

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私が大学進学で上京したのがちょうど2000年で、もうそろそろコギャルブームは終焉だったけど、それでもアルバローザとかココルル?とかのギャル系のお店は、しっかりいい場所に出てたね!


あと、個人的に懐かしメーターが振り切れた瞬間は、マサーシーがカラオケで得意の「ロマンス」を歌う直前に見えた、あのカラオケのリモコン!!!!


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そっか、デンモクになって既にもうしばらく経ってたんだなぁー!!って思った!
久しぶりにみた、あのタイプのリモコン!



昔は分厚い本見ながら曲探して、「えーと、5600-01、よし、ピッ!」とかってリモコンで入力してた!してたなー!

やたら古臭い映像が流れたり「間奏 15秒」とか出たりね!


曲の終わりに荒い明朝体

1998年
windows98発売
史上初の兄弟対決、若乃花初優勝
hide死去

とかいう、謎の豆知識が出たりね!

愛に!気づいてくだっさーい!
僕が!あたためてあっげっるっ!!(((^-^)))



ほかにもいっぱい懐かしポイントがあったけど、だいたい同じ流れの繰り返しになるからやめときます。



とにかく、まだまだ最近だと思っていたあの頃が、改めて見たらすっかりしっかり「過去」になっていたことに、驚いちゃったっていう話です。


コギャルのメイクとかポーズ
街ゆく人のファッション(やたらピタピタ)
男子のロン毛率の高さ(V6も半分はロン毛だったぞ)
ケータイの一切見えない街の様子
エキセントリックな企画内容
小学生のおぼこさ
中学生の素朴さ
流行ってた歌(三大歌姫とか言ってたわー!!)
流行ってたモノ(みんなPRADAのちびリュック持ってなかった?)


改めて17年後の未来から見ると、どれも「……(* ̄m ̄)ププッ」って感じに見えるけど、その当時は全然おかしいなんて思わなかったもんなあ。


時代ってゆるやかに、わからないうちに、確実に変わっていくんですね!


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1992年の渋谷だそうです。


私は思った以上に鞘師里保が好きだったようです

2015/10/30(金)

鞘師ちゃん、卒業ですね...
ほんとうにお疲れ様でした。今まで娘。を支えてくれてありがとう。


私はモーニング娘。のファンになってからもう8年くらい経ちます。
推しメンはいつも卒業によって変わってきました。

最初はえりりん。そのあとはさゆ、そして鞘師ちゃん。


鞘師ちゃんは12歳でモーニング娘。9期メンバーとして入ってきたんですよね。

4年ぶりの新メンバー増員、その中でも群を抜いて期待されてたのが鞘師ちゃんでした。

前年の娘。の舞台「ファッショナブル」のオーディションに鞘師ちゃんが合格してて、娘。オーデの前にもう既に共演してたというのもあって、9期オーデは鞘師ちゃんを囲い込むために実施したのではという説すらあったほど。

広島アクターズスクールで「ダンスの天才」の名を欲しいままにした鞘師ちゃんだからか、娘。加入のあともいきなりセンター格の扱いでしたね。


まだ愛ちゃんがいたころ、コンサート名はは忘れましたが確か春ツアー、「Moon Light Night〜月夜の晩だよ〜」の曲間のダンスで、愛ちゃんとガキさんと3人でソロダンスを披露するところがあって。

YouTubeにあるかしら。
あったあった。これです。

 


この曲を生で見た時、ほんとに目の玉が飛び出ました。

つい一週間前まで小学校に通ってた子が、あの愛ちゃんガキさんと対等に渡り合ってお客さんを魅了している...!!

そしてあの体のキレ。
キレだけじゃなく、タメ。

こりゃものすごい子が入ったぞと。
オラわくわくすっぞと。

とにかくものすごく衝撃を受け、ものすごく興奮したことを覚えています。



私はダンスのことなんか門外漢で全然わかりませんが、四、五年ずっとハローのライブDVDやPVをコンスタントに見てきたから、そのダンスがハローの他のメンバーと似てるか違うかはちょっとわかる。
ちょっとだけ。


鞘師ちゃんのダンスはなんというか、こう、四つの音にポンポンポンポン、と四つの振り付けがあったとしたら、1個のポンと次のポンの間をギリギリまでなくして、1個の動きをその音の尺の最大限まで取る感じ。
なんなら、髪の毛の戻り等の残像まで計算して、次のポンに被せてくるくらいに、タメた動きがすごく特徴的で。


しかもバネがすごくて、次の動きに即移れるから、決してリズムに遅れるわけではなく。


ただ単にリズムに合わせて踊る、というのではなく、こうなんというか、グルーブ?的な感じをすごく受けます(うーん、うまく言えない)。


最近たまたま見た動画で、違いがよく解るものがあったので、それも貼ってみます。

最初のカットで、一番奥にいるエメラルドグリーンのパンツを履いてるのが鞘師ちゃんです。
次のカットで一番手前に来ます。

私が言いたいことがうまく伝わるかわかりませんが、鞘師ちゃん独特の振り付けのテンポが、ほかの人と比べることでちょっとわかりやすいように見えるので...

髪の毛の残像のタイムまで計算されてるように見えませんか。
見えませんか。

さあどうぞ。

 

っていうか、開始34秒のあの動きはなんなんだ。人間か。



まあそんな鞘師ちゃんですが、世間では(ハロヲタ界隈〜ドルヲタ界隈では)、「自信なき天才」と言われたりしていました。


加入当時こそ、子供ならではの無邪気さと無自覚さで(だって12歳よ...12歳)天真爛漫にはしゃぎ回り、得意のダンスをこれでもかと楽しく踊ってくれていました。

というか、鞘師ちゃんの娘。でのお仕事は、それだった(語弊はあるけど)。


それが、愛ちゃんが卒業し、ガキさんが卒業したことで、ダンスで娘。を引っ張っていける存在が、早くも鞘師ちゃんだけになってしまったんですね。

れいなは歌のうまさとアイドル性は抜群だったけど、ダンスはそんなでもなかった。

さゆは「顔で踊ってる」といわれるくらい表情の作り方はべらぼうにうまかったけど、線が細くてダンスはどっちかというとむしろ苦手だったようです。


そして、この頃の娘。は、5期(愛ガキ)・6期(さゆれな)の下が、もう9期になってた変則構成だったのです。
7期の小春、8期の愛佳・ジュンリンが既にもういなくなってたから。


だから、鞘師ちゃんは加入1年ほどで、つまり13歳やそこらで、娘。という大きなグループのセンターに立つことになった。

このことが、鞘師ちゃんの本来持っていたはずの天真爛漫さや自由闊達さに、少しずつ少しずつ、影を落としていったような気がします。



私はつねづね、モーニング娘。というのは甲子園の伝統校のようなものだと思っていました。


つんく♂監督の元、毎年必ず甲子園に出場する伝統の女子高、つんく♂学園(仮)。

今の3年生(愛ちゃんガキさん)が1年生だったころには、全国優勝の常連でした。

しかし最近は、他の学校もつんく♂学園(仮)の手法を取り入れてどんどん力をつけてきているので、なかなか全国優勝まではいけていません。


そんな中、3年生の引退の日は必ず来ます。

エースで4番でキャプテンの愛ちゃん、名キャッチャーで頼れる副主将のガキさんは近い将来絶対にいなくなります。

2年生のさゆちゃん、れいなちゃんは、野球は大好きだけど実はそんなには上手くない。
ピッチャーは、絶対無理。キャッチャーならなんとか...。テレビ取材では無双級なんですが。


さあ、誰がピッチャーをするのか。

悲願の王座奪回に向け、ここは絶対にすごい奴を据えなければ。


と、ここでつんく♂監督が言いました。


「こないだ部活見学に来てた小6の子な、ちょっとやらしてみたらな、まーあすごい才能やってん!打ってよし、投げてよし、器量よしや!うん、あいつしかおらへん!ええかええかえか、えかええか、これからはあいつをうちのエースにするからな!!」


こうして、高校野球の強豪・つんく♂学園(仮)は、なんと小6の新人をエースで4番に据えたのでした。


そしてそのエースで4番の新人は、リトルリーグで培った抜群の素養をいかんなく発揮し、公式戦初登板から、必殺魔球「Moon Light Night」を投げ込んで、往年のファンの度肝を抜いたのです。


だれが、12歳で甲子園のマウンドに立てますか。
だれが、そんな責任を負いたいと思いますか。

才能、実力、度胸、すべてが揃っていないと、いや、揃っていたって大多数の人は怖くて立つことが出来ない舞台のど真ん中で、及第点どころか目の肥えたファンを魅了するというのは、これが離れ業でなくて何なのか。
(私なんか、中学3年の定期演奏会でたかだか10秒もないほどのソロを、たった300人やそこらの人の前で吹くだけで、死にそうに緊張したというのに!いや、私と比べたって仕方ないけど!話もどすね!!)


そして、新エースの華々しいデビューに気を良くしたつんく♂監督、「よっしゃ、これからはこいつの時代やー!」とばかりに、来る日も来る日もマウンドに立たせ、打席に送りました。

そのうち、3年生は抜け、2年生も卒業します。

やっと中学生になったばかりのエースは、高校野球という世界の中で、いつしか孤高のエースと呼ばれるようになっていました...




的なね。


上手な世代交代を進めること、まだやれるうちに次のタマを育てておくこと。

プラチナ期が大好きな私ですが、今になって考えれば、プラチナ期の一番の罪は上記の2点ができていなかったことなのかもしれません。


15歳になり、16歳になり、どんどん後輩が入ってくる中、もともと真面目すぎる、不器用すぎる面のある鞘師ちゃんが「自分の役割」に対してストイックになりすぎたというのもあるかもしれません。


今年の夏には、体調不良で1ヶ月ほどお休みをしています。
プロ意識の高さで他メンのヲタにも一目置かれていた鞘師ちゃんが握手会やコンサートを休むなんて!!と、鞘師ちゃんファンは不安を隠しきれませんでした。

復帰した直後のラジオでは、本人の口から「起き上がれなかったんです。というか、起き上がりたいと思えなくなった。事務所の方から、少し休めと言われました」と報告があったとか。


そして、最近は鞘師ちゃんが「ちょっと太った?」といわれることが多くなりました。

ぼっち状態をイジられることも、ごく普通のことになっていました。


たった17歳で、世間という「姿の見えないモンスター」と必死に戦い、ダンスを武器に、いや、盾にしてセンターに立ち続け、後輩を背中で引っ張ってきた鞘師ちゃん。


鞘師ちゃんは、卒コンもなく、卒業シングルもなく、単独コンサートではないカウントダウンライブをもって、モーニング娘。を卒業するそうです。


まる5年、エースとして支えてくれた功労者に贈る花道としては、あまりにもさみしすぎる。

でも、もしかしたら、もう花道を歩くことさえできないのかもしれないな、と思います。

来年のカレンダーには鞘師ちゃんがどセンターで映っています。
八月のインタビューでは「(卒業は)20歳は超えたいなって思ってます」と答えていました。
同期である9期メンバーも、ごく最近卒業を聞かされたそうです。

だから、この卒業は、少なくとも既定路線ではなかったのではないかな。

ということは、鞘師ちゃんは、限界なのかもしれません。

起きれない、太った、意欲がわかない...という状態は鬱病の症状に似てるから心配、と書くファンの人も一定数いました。
そうではないことを祈りたい。


卒業発表のブログの中では「今後の人生」っていう言葉が出てきました。

まだ17歳なのに...。

でも、17歳だからこそ、これからの人生は自分のためだけに生きていけるはず!


広島から上京して、未だに家族と並んで脚をのっけて寝ないと上手に眠れない、不器用な鞘師ちゃん。


責任感や使命感に完全に押しつぶされる前に、最後の勇気を振り絞って「卒業」という道を選んだとするなら。
たとえ卒コンがなくたって、卒業シングルがなくたって、駆け足で急ぐように見えたって、立派な卒業だったと言ってあげたい!


私は今の職業、辞めたいって思うことも増えてきたけど、まだまだまだ本気で辞める決心なんかつかないもの。

応援してくれてる人が本当にたくさんたくさんいることを、コンサートや握手会なんかを通して十分に自覚がある中、辞めるっていう決心は決して簡単にできるものじゃないと思う。

鞘師ちゃんの決断を、私は支持します!!


ハロメンで唯一、苗字でコールされる鞘師ちゃんが好きでした。

不器用で、自分の役割に必死になって向き合う鞘師ちゃんが好きでした。

ツルツルの赤ちゃんみたいな顔を汗でグッショグショにしながら、曲終わりのカメラにドヤ顔をカチ込む鞘師ちゃんが好きでした。


5年前、モーニング娘。に来てくれてありがとう!
5年間、モーニング娘。を救い続けてくれてありがとう!
今、自分の人生を大事にしてくれてありがとう!


鞘師ちゃんのこれからの人生が素晴らしいものになりますように。

そしてできれば、ときたま、その姿を私たちにも見せてくれますように。



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卒業の日まで、全力で楽しんでください!

鞘師里保のことが、自分で思う以上に好きだったことに気づいた、もちよより。

もちよ式 死後の世界

2015/10/27(火)

今日は学校で交通安全教室がありました。

息子を突然の事故で失ってしまった母親の手記や、悲惨な事故の事例などを聞きながら、さよならも言えない突然の別れはどれほど辛いことかと、胸が痛くなりました。

加害者にも被害者にもなることのないようにしなければ、と思いました。


その傍ら、思ったことがあります。
死後の世界、についてです。

私には特定の宗教がないので希望的観測を語るしかないのですが、小さい頃から漠然と、なんとなく自然に、死後の世界についてのとあるひとつの考えを持っていました。


それは、「死後の世界はすべての希望が叶えられている世界だ」という考えです。



明日突然私が事故にあって、さよならも言えずに旅立ってしまう可能性は、ゼロではありません。

でも私の「死後の世界観」を書き残しておくことで、そのまさかが起こった後の周りのみんなの気持ちを、すこし和らげることができるかもしれない。


せっかくブログやってるんだから、保険代わりに書き残しておきたいと思います。

転ばぬ先の杖、ってやつですね!






私は、死んだらおそらく「すごく気持ちのいいところ」に行くと思っています。
まあ仮に、そこを「極楽」と呼びましょうか。
極楽は、すべての希望が叶えられている場所です。


極楽とは不思議なところで、自分が生前好きだった気温や、香りや、天候になっているように「その人それぞれに」感じられます。


同じ場所にいても、夏が好きな人は夏のように、冬が好きな人には冬のように体感されます。

気持ちのいい風がふいて、その時々に応じて感じたい季節や香りを好きなだけ感じながら、人々は好きな場所に好きな家を建てます。
もちろん建てなくてもいいです。


人々は、生前自分が1番好きだった頃の姿や、1番なりたかった姿になっています。

見た目の性別や年齢などは、極楽では意識されません。
6歳の少女と35歳のおばちゃん(……おばちゃん!!!)が仲良しの友達だったり、40歳のサラリーマンと16歳のセーラー服が恋人だったりします。

姿とはあくまでも魂のラッピング程度、洋服程度のものなので、人々は特に気にしないのです。

人々は、好きだった姿やなりたかった姿のまま、自由に過ごしています。


そして魂が持つ姿は一つでなくてもいいので、人々はいくつもの自分を持つことができます。

たとえば結婚して新しい家庭を持ってから亡くなり、極楽でも母として暮らしている娘Aと、同じように極楽にいる両親の魂のもと、小さな子供の姿で遊んでいる娘A´は、まったく同じ人です。

いくつ姿があってもいいし、一つでもかまいません。AとA´が会って話をすることも可能です。

人々は、極楽では自分が懐かしむ時代の暮らしのまま、会いたい人とずっと離れることなく、楽しく過ごします。



飼っていたペットは、飼い主が来るまではどっかでみんなで遊んでいて、いつもぬくぬく眠り、お腹いっぱいになって元気に待っています。

飼い主が極楽にやってきたら一目散にお出迎えにきて、そこからはもう、離れることはありません。
ずっと、年も取らず病気もせず、大好きな飼い主のおうちで遊んで暮らします。



仕事は、極楽ではしてもしなくてもかまいません。
したい人が、したいだけの仕事を自由に見つけて行います。

学校に通いたければ通えばいいし、1日中野球をしていてもかまいません。


人々は、時間も距離も、なんなら時空も超えて好きなところに行けます。


江戸時代に行って社会見学してみたり、現代のパリに観光に行ったり、自分が生まれた日に行ってみたりして。
レジャーとして、いろんな場所への旅行を楽しみます。


極楽では時間の流れが現世と違うので、例えば40年前に亡くなった旦那さんであっても、ひとりぼっちで40年ずっと待っているという感覚はありません。

40年後にやっと奥さんがやってきても、久しぶりのような、つい最近も会っていたような、居眠りをしていて起きたときくらいの感覚で会うことができます。


寂しいとか、悲しいとか、そういう感情はのんびりしているうちに薄れていきます。


自分のお葬式で泣いている家族を見に行っても「おう泣くな泣くなー」「こっちはなかなかええぞー」「うひゃひゃ」と、まるで酔っぱらいのようなテンションで見ている……かもしれません。


病気で亡くなったとしても、その病気は極楽ではもう跡形もありません。
1番元気だったころのまま、何を食べても何を飲んでも、運動してもしなくても、もう病気にはかかりません。太りません。ハゲません。
……最高!



唯一出来ないことといえば、まだ現世にいる人たちと会話をし、触れ合うことくらいです。

でもそれも、マラソンの伴走者や格闘技のセコンドが、選手への接触を禁じられている程度のもの。


現世で頑張っている大事な人の姿を応援することはできるし、時期が来ればまたこの極楽で、話もできるし触れ合うこともできるとみんな、知っています。

そして、そんな日がくるのは案外すぐ(現世時間ではなく、極楽での体感時間として)であることも知っているから、人々は話せない・触れないことも、とくに悲しみません。
まあ、もどかしい思いはするかもしれませんけど(笑)


早く来てくれないかなぁ、と思うこともなく。
来てくれたらやっと話せる触れる!とテンションが上がり。
そこからはもう2度と離れることなく、みんなで楽しく暮らせます。



悲しみも寂しさも貧しさもなく、差別も迫害も受けず、みんなが元気で明るくて、いい人ばかりの世界。

洗濯物はいつもふわっと乾いて、ペットは元気に足元で走り回り、どこにでも行けていつまでも遊んで、大事な人とずっと離れないですむ世界。




これが私の考える極楽、「死後の世界」です。



そして、極楽でのこんな暮らしがあるとするなら、なんで現世にこんなに人がいるんだろうと考えたこともあります。

例を出す手間もいらないほど、極楽に比べれば現世はまさに「修行の場」にほかならないのに!


仏教では確か、前世でした悪い行いを悔い改めるために今世がある、前世の功罪によって生まれ変わりが左右される、といった考え方がありますよね。


私はそうは思わなくて。
この世に生まれた現在修行中の人々は、たぶん前世が相当の変人だったんじゃないかと思ってます。


現世でも「な、なんでわざわざそんな苦しい思いをしてるの!ドMが過ぎるぞ!」と言わざるを得ないようなスポーツや自己鍛錬、修行等に自ら身を投じる人、いますよね?
それです。それそれ。


恵まれた幸せな極楽での暮らしに慣れたことで、逆に、何事も自分の思い通りにならないこの世に魅力を感じ始める変態たち。


泣くことしかできない超低スキルの状態で産み落とされ、住むところひとつ、育つ家庭ひとつ自分の思い通りにはならず、幼い頃から他人との距離感や関係性を気にせねばならず、受験や就職活動に追い詰められ、病気や障害に悩まされ、お金に振り回され、大事な人との別れまでも避けられないこの現世。

どう考えたって、極楽にいるほうがいいでしょ?!

でも、変態たちは、より厳しい状況にオノレを置くことに満足を見出します。



思い通りの世界なぞ要らぬ、いかなる厳しい状況でも、この人生という名の花を咲かせてみせようぞ!いざ鎌倉!

とばかりに鼻息も荒く言われたら、まあ、極楽はすべての希望が叶う場所でもあるんだから、現世に生まれ変わることも、まあ、そりゃあ、叶うでしょうね。


「アンタなにもわざわざ、好き好んで現世なんかに行かなくてもwww」
「変態キタコレwww」
「また赤子から人生やるとか、ドM乙www」
「時間旅行できない現世に魅力なしwww」

とか散々なことを言いながら、極楽の人々もまた、変態を送り出したんでしょうね。


どうせまたすぐ会えるし、なんなら極楽からモニタリングもできるし。

物好きだねぇ、とか思いながら、現世の人がフルマラソンや高峰の山登りをしにいく人を送り出すくらいの感覚で。



だから現世にいる私たちは、たぶんみんな元は変態なんですよ。

自ら進んで修行するぞと意気込んでやってきたんですもの。

……いらんことすな!!





まあ、なんでこんなことを思うようになったのか、何かきっかけがあったのか。
自分でも考えてみるけど、理由なんかは多分無くて。
ほんとに自然に、なんとなくそう考えるようになった気がします。


そうだったらいいのにな……というような希望ではなく、今や「うん、きっとそうなってるわ」と確信する程度には、この考えが私の心の中に確固たる強さで居座っています(笑) 


それを信仰というなら、そうなんでしょう。まさに、もちよ教(笑)いつでも信者募集中!!




まあ、それでもやはり、「死ぬ」ということはまだ(この、今の私の意識の中では)経験したことがないので、怖い……というよりも、よくわからなすぎて何もコメントできません。


でも、もし私がある日突然、事故かなにかで天に召される日が来ても、私があっちの世界で寂しく思ったり、みんなに会いたくて会いたくて泣いてばかりの生活を送っているわけではないのだと信じてもらえたら、いいなと思います。



私はたぶん、一生太らないも〜んイエーイ!とばかりにバリバリお菓子を食べながら、ソファーに寝っ転がり、わふわふじゃれついてくるリキの頭をなでたりしながら、知り合いの出てるTVを見るような感覚で、みんなをモニタリングしていることと思います(笑)


そのTVが終わる頃には、続々と大事な人がこっちに着くので、また楽しく楽しく遊んで暮らします(^-^)


そして、現世への生まれ変わりだけはオノレに固く禁じたいと思います(笑)










表現力ってなんだよー!

2015/10/25(日)

昨日テレビを観てたら、とあるバレエダンサーの方がコンクールの審査員をしていて、そこで審査した日本人の女の子のことを褒める、という場面がありました。

バレエを習っているのにコンテンポラリーで評価される日本人は珍しい、とか、彼女の明るい性格が手の先足の先まで表現されていて良い、とか、そのような褒め言葉でした(バレエやダンスは全くわからないので、文脈として合っていないかもしれませんが)。


で、わたしのかねてからの疑問が再燃しました。



表現力ってなにーーーー??



私は生まれてこの方、表現者の立場にたったこともなければ、芸術鑑賞の目もないので、ほんとにほんとにわからないのです。

体で自分のことを表現する?!!
どうやって??


まだね、歌はなんとなくわかります。


松浦亜弥が出てきた時、そのあまりの格の違いに私は戦慄しましたから!


15やそこらの女の子なのに、歌詞の説得力が群を抜いていました。
100回のkiss、などは、あまりの説得力に驚きを通り越して恐ろしさまで感じました。

バラードじゃなくたって、彼女が歌えば片思いは桃色以外有り得ないし、キュートかセクシーかどっちが好きか考えなくてはならないし、夏男にもグッバイしなければならんし、とにかくすごい説得力でした。

そこいらのアイドルが束になってかかっても全くかなわないほどの圧倒的な存在感を目の当たりにしましたよ。


天才がトップスピードでアイドル界にぶっ飛んできて、あっという間にあの時期のモーニング娘。を従えてコマーシャルに出、あっという間に全女子の憧れの的になり、あややになりたい!というタイトルの本まで出たときには、こりゃすごいことになったぞと恐れをなしたことでした。


万博で国家を歌えるソロアイドルは、松浦亜弥以降はもう出てこないんじゃないかな……


当時から10年に1人の逸材と呼ばれていましたが、松浦亜弥がデビューして、もう15年になりますね(遠い目)。


デビュー当時、15歳の歌唱がこちらです。
ぜひ、コメント欄も合わせて読んでいただきたいです。


松浦亜弥 - ひこうき雲~LOVE涙色 - YouTube


うへえ、とんでもねぇ。



まあ、というわけで歌を聴くぶんには「表現力のある人」と「ない人」の違いを見分ける程度ならなんとか……というところですが、どうすれば表現力がつくのか、とか、あの人の表現力とこの人の表現力はどうちがうのか、とかいったところになると、もはやさっぱりわかりません。


私もカラオケで歌うことあるけど、精密採点DAM先生にはいっつも「表現力がなってない!」と講評されますからね!!

点数は93点とか普通に出るけど、表現力だけガッツリえぐれてるからね!


歌詞に感情を入れて歌う、って、どういうこと?
朗読ならわかるけど、メロディあるじゃん!?


たとえば先ほどの松浦亜弥だって、じゃあ本気で「空に憧れて」いたのかといわれれば、まあそうでもないと答えるんじゃないでしょうか?
根拠はないけども。

本気で下北に慣れたのか、ほんとに1人でコーヒー頼んだのか、本気でウキウキな夏を希望してズバッとサマータイムなのか、と聞かれたら、松浦亜弥だって全部が全部そうではないでしょうよ。


宇多田ヒカルは天才中の天才だとおもうけど、16歳やそこらでの最後のキスがタバコのflavorっちゅーのはおマセが過ぎるし、抱きしめられると君とparadiseにいるみたい、ってのもあんたちょっと本気で言ってんの。


だから、たぶん歌においては、表現力というのは「入り込み力」と「演技力」ではないかと。


でも、そういや元モーニング娘。高橋愛ちゃんは「憑依型」と言われていたけど、私は愛ちゃんの歌に表現力を感じたことはあまりなかったかも。

愛ちゃんの表現力といえば「ダンス」と「表情」!!

こちらをご覧ください。

「アイドル的ダンス表現の最高峰」 と言われた高橋愛 №1 - YouTube

うへえ、とんでもねぇ。

愛ちゃんのダンスは他の娘さんと全然違うというか、ほんとに乗り移ってるというか、1曲ごとにまったく違う様相を見せるんですよねぇー。

言葉がなくても表現できる、というのは、こういうことをいうのかしら??


でも、じゃあ仮に言葉なしで感情を表現できたとして、それを表現者の意図どおりにきちんと受け取ることはどうやったらできるんでしょう。


フィギュアスケートとかでも「指先までしっかり表現されていてすばらしいですね」とかきくけど、あれ何を受信してるの??

「っかーーー!!さっきのトリプルアクセルまじ最悪まじ最悪!」
とか思いながら足を上げてるかもしれないし、
「フフフ……俺様の美技に酔いな」
とか思いながらスピンしてるかもしれないじゃないですか。

ほんとに、指の先まで曲の世界観を表現してるもんなんですかね。



冒頭のコンテンポラリー女子にしても、前向きで明るい性格って、ダンスにまで出るもんなんですかね??


それとも、わたしがそれを感じ取るアンテナがないだけで、ほんとにみんな「表現」を意図してやってるのかな。


うーん、今後もテーマとしたいと思います。

とりあえず私は、言葉で自分の頭の中を表現できる語彙力と文章力を磨かなくちゃ!

名前で呼ばれる人になってみたい!


2015/10/21(水)

今日は自転車通勤をがんばりました。もちよです。
ちょっと健康パラと魅力パラが上がったかもしれません。今たぶん5くらい。王子の攻略には最低あと120ほど必要ですね!!
うちの波乗りちゃぷ夫(旦那)の攻略には、何のパラがどのくらいいるのか知りたい今日この頃です。
「学力100  魅力350  笑い500」ってところでしょうか。無理(笑)





ところで、私は自称「名前研究家」です。



小学生の頃から、家の本棚でホコリをかぶって転がってた「名付け事典」を愛読。
自分が名付けられてから10年やそこらしか経ってないというのに、もはや名付け事典を読む名付け界の早咲きエリート、それはちびもちよ。



中学生の頃には、下手な絵を描いては無駄に凝った名前をつけ、細かい設定をつけるのが好きでした。
だいたい双子。だいたい正反対の性格。でも名前は関連性を持たせる。これがオレのテッパンスタイル。

「主人公は白花と紅華。白花(びゃっか)は黒髪ボブで大和撫子系、紅華(こうか)は茶髪ロングのハーフ系美人。普段は仲が悪いけどいざと言うときは助け合う」

とか書いてた。今書いててもだいぶ恥ずかしいわ。主人公て。小説もマンガも書いてないのに何の(笑)
しかもいざと言うときて。体操着忘れたとか、そのあたりか。そりゃ助け合うでしょう。
体育のクラス分けが別々であることを20年後の未来から今願います。

なににびっくりって、白花も紅華も予測変換に普通に出てくることよ。世も末。ヨモスエ。ヒロスエみたい(笑)



母の日や父の日、敬老の日が近づくとスーパー等に飾られる、近隣幼稚園在学の園児が描いた「にがおえ」。
子供は好きじゃないし関係者もいない私がじっと絵を眺めているのは、もれなくついているひらがなの名札から、漢字を想像して楽しんでいるから。


新聞の月イチ企画「誕生おめでとう」欄などは隅から隅まで読み込む。トイレで。朝から。


何らかの会やコンクールなどに参加した際に貰うパンフレット。
名簿が掲載されていたらガン見して、「ベスト名前オブこのパンフ賞」を勝手に決めずにはいられない。


人名だけではなく、社名や商品名のウンチクを知るのも大好きだし、社名や商品名からその由来を当てるのも大好き。
なんなら他人のメールアドレスとかを解読するのも大好物。

ただ、最近はケータイという機器にすっかり慣れたのか、皆様のメアドのテンションが落ち着いてしまい、普通に名前と誕生日程度の情報しかなくてつまりませんね。

昔はもっと、「ayk-lovelove-ictl-mkt@」みたいなアドレスが多かったのにね!!

「ふむふむ、アヤコさんとマコトくんのカップルで、ラブラブで、ictl……ああ、アイシテルね!!けっ!!」
てな感じで、解読が楽しかった過去(楽しんでるか?)は遠い彼方へー。




まあそんな感じで、名前につよい関心を持ち続け今日に至るもちよ。


名前に関して話すのにはたくさんの切り口があるけど、ことあるごとに考えるのは


「名字で呼ばれがちな人と、名前で呼ばれがちな人とを分けるものは何だ?!」


ということですね。




わたしは明らかな「名字型」です。

大抵どこでも「はまぶきさん」「はまぶき先生」って呼ばれるし、昔からそう呼ばれてきました。

私は自分の名字がそう大して好きなわけではないので、名字で呼ばれがちなことは、正直ちょっとだけ寂しい。

でも、これはもうどこにいってもそうなので、そういうオーラが出てるんだろうなあー、と諦めています。


でも、世の中には不思議なもので、名前で呼ばれがちな人がちゃんといるんですよねぇ。

別段珍しい名前じゃなくても、どこに行っても「さっちゃん」とか「まこちゃん」とか呼ばれる人が。



学校でも、まあ名前は仮名にしますが、「若子先生」とか「千里ちゃん!」とか、決して名字では呼ばれずに名前で呼ばれる先生がいます。

「若子先生(仮)」の場合は同名字が3人いるから、かもしれませんが、「千里ちゃん(仮)」に至っては名字かぶりもしてないのに。してないのにー!


大学の頃バイトしてるときも、同時期に入ったのに私は「はまぶきさん」で、もうひとりの子は「ナオミちゃん」だったりしたなあー。


これ、なんなんですかね??


「親しみやすい雰囲気の人」と「そうではない人」の違いですかね?

でも、名字型のわたしも、べつに親しみにくいオーラを放っているわけでは……。
ないはず……。ないと言って。ない。



名前と名字、どっちか呼びやすい(発音しやすい)方で呼ばれるってこと?

たしかに、同じ名字のわたしの弟は、だいたい「あっちゃん」と呼ばれてましたわ。「はまぶきくん」ではなかったわ。
でも、もちよの本名も、どっちかといえば名字よりは呼びやすいと思うんですよ。二音節だしさあ。



いや、べつに、呼びたいように呼んでくれればいいんですよもちろん。
今はその境地に達しました。大人だからね、もちよも!


でも、思春期のときとかはさー、そんなことも悩みのタネになっちゃってたよね。


「なんであの子は名前で呼ばれるのに、私は名字+さん  なんだーーー?!」って。


私はわりと昔から(昔は、という説もある)しっかりしてると言われてきてて。
俗にいう「優等生タイプ」の部分がわりとあって。
ナントカ長とか、よくやらされてて。

そんなマジメでしっかり者と規定されることと、規定されがちな自分を、好意的に見ていなかったからかな。
なんか固いイメージがある「名字+さん」呼びを、受け入れたくない時期があったなあー。


そういやあだ名もつきにくかったわ私!!


なんかさ、あだ名って素晴らしいよね?もう一つの名前だし、親しみがこもってるし。

ほしかったなあ、あだ名……。

二音節だと、だいたい「名前+ちゃん」になりがちですもんね。

三音節の方のあだ名、たとえば

「ゆきこ」の「ユッコ」。
「まゆみ」の「まゆ」。
「みゆき」の「ゆき」。

全部羨ましかった(笑)


やっぱり、醸し出す雰囲気なのかなあー。

「基本的に名字で呼ばれる人」が「基本的に名前で呼ばれる人」になるのは、案外もう無理なのかなー。




アイドルはカワイイ子たちの集まりだから、カワイイあだ名がつくじゃないですか。

特に平成生まれ(ざっくり27年の幅)は名前も可愛いから、あだ名やコールも自然、名前ベースになりますでしょう。


でもね、私が応援してる、もう10年近くずっとライブに行ってるモーニング娘。には、なんと曲間のコールが「名字呼び捨て」という超絶珍しいメンバーがいます。

それは、広島の星・日本の希望。
これからの娘。の、ハロプロの、いや日本アイドル界の至宝、その名も

鞘師里保ちゃん。

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めんこい!


未だかつてこの子だけじゃないかな、曲間のコールが名字呼び捨てで

(」^o^)」 < さやしー!


なのは(笑)


♪贅沢にキリがないことは承知の上だけど〜
(*ノ´O`*)ノ< やまだー!

♪前後左右見栄張って生きるのが常〜
(*ノ´O`*)ノ< すずきー!


いやいやいや、ないわ。
名字呼び捨てのコールは、通常ないわ。

(*ノ´O`*)ノ<えりりーん!
(*ノ´O`*)ノ<さゆみーん!
(*ノ´O`*)ノ<れいなー!

これでしょ。アイドルの現場ったらこれでしょ。


鞘師里保ちゃん(ちゃんというか様)の孤高の感じとか不器用な感じとかがほんとに愛おしくて仕方ない私ですが、前代未聞の「名字呼び捨てコール」をされてるところがさらにまた、愛おしさを増幅させます(笑)

他人とは思えないわ!(笑)


いつか、初めての学校に赴任したときにでも、「名前型キャラ」になってやりたい、そう思うもちよでございます。